五代目柳家小さんの想い出

三語楼さんが六代目を襲名する、という記事をみてちょっと五代目小さん師匠の事を考えてみました。
おそらく実際にも何十回と高座は観ているはずですが、一番印象に残っているのはもう10年近く前の冬だったかに、寄席初体験の友人数人と新宿末廣亭の昼席に行ったときの事です。
小さん師匠は当時療養を終えてぼちぼち復帰中くらいだったと思うのですが、その日の主任は小朝師匠で、小さん師匠は出る予定ではありませんでした。
ところが末廣亭に行ってみると、今日柳家小さん出演、という張り紙がしてあったのです。
これは運が良いぞ、と連れと喋りながらあまり客の入っていない末廣亭に入りました。もちろん主任は小朝師匠なので小さん師匠は代演です。その時に演じた「粗忽長屋」はまさに気の入った出色の出来で、落語家柳家小さんの底力を観た気がしたものでした。
病み上がりの高座なので元気な全盛期の高座とは当然違うのですが、それを補って余りある気迫で演じきっていました。
この日は寄席ならではの出来事もありまして、膝代わり*1ののいる、こいる師匠がなかなか来ない小朝師匠をつなぐためにとうとう最後はお互いを誉め合うという滅多にみられないネタまで披露してくれました。あの時高座をおりる時の安心したような表情は忘れられません。小朝師匠は「紙入れ」をきちっと演じました。


この時に出演していた知り合いの噺家のはん治師匠に後からきいた話で、一朝師匠がこの数日後に「この前の末廣亭の代演、誰だったんだい?○○かい?違う、じゃあ〇〇さんかい?違う、じゃあ〇〇師匠かい?違う、まさか・・・〇〇師匠?え・・・よもや会長(小さん師匠)なの!!」と慌てふためいたらしいです。


その後小さん師匠は再び療養したりして、最晩年はなんとなくせかせかと「間」が詰まったような口調で抑揚もあまり感じられなくなってしまったように私には感じられましたが、それでも高座に上っていたところに深い感慨を覚えます。その心意気を感じるために行くんだ、という気持ちで最晩年の柳家小さんを聴きに行ったのを今も良く思い出します。

*1:トリの一つ前に出ること。殆どの場合色物である