親子噺家

昨日の志ん生に関連して、二世、三世の噺家について。
志ん生師匠の息子といえば10代目金原亭馬生と先日亡くなった古今亭志ん朝なわけですが、結局志ん生を継ぐ事なく世を去ってしまいました。
ここ最近話題になった襲名というと、石原軍団を巻き込んでの盛大な襲名披露を行った、元林家こぶ平の九代目林家正蔵でしょう。最近落語を聴きだした人だと先代の正蔵師匠も知らない人も多いでしょうが、20年以上の落語好きならば、殆どの人が正蔵というと稲荷町の師匠を思い浮かべるでしょう。弟子の木久蔵さんが良く真似をしていました。実際は晩年でもあそこまでふにゃふにゃでは無かったのですが、いささか歯切れは悪くなっていました。
こぶ平さんの父親はかの有名な爆笑王林家三平さんだったわけですが、この三平さんの父親が稲荷町の八代目正蔵の前の七代目林家正蔵なのです。三平さんのギャグのように思われている「どうもすいません」などは実はこの七代目正蔵がやっていたのが最初です。稲荷町の師匠は人情噺や芝居噺をよくし、渋い本格派の噺家だったので、正蔵というとその印象を持ちがちなのかも知れませんが、この七代目正蔵師匠は軽く明るい芸風で主に滑稽噺を演じていた人です。
八代目正蔵は前名の蝶花楼馬楽時分に海老名家から自分一代限りで正蔵の名前を借りたというわけです。だから先に三平さんが亡くなってしまった時に本来三平が継ぐべきであった正蔵の名前を返して彦六に改名して、死ぬまでその名前で通しました。だから長男であるこぶ平正蔵になるのは当然だし、無理に重い噺もする必要は無いのになぁ、と私は思っていたんですけどね。
こぶ平さんは正蔵襲名が決まった頃からかなり真剣に古典落語に取り組んでいるらしいので、私はまだその成果を確認していませんが、折りをみて古典を演じる九代目林家正蔵を聴きに行こうかとは考えています。それなりの成果が出ると良いのですが。