美空ひばりと演奏家の晩年

昨日、ひばりの特集番組を某局で放送していたので、見るとはなしに見た。
前にも書いた事があるが、私はひばりの歌は苦手です。
彼女が嫌い、ではなく、彼女の歌が苦手、なのでお間違えなく。


友達や知り合いに、美空ひばりの歌はどうもダメなんだよね、と言うと殆どの場合疑問の声を投げかけられたり、酷い時は非国民扱い(冗談ぽくですが)されます。
それくらい日本国民に愛されているのでしょう。


昨日のその放送を見ていて初めて知った事の一つに、ある曲から裏声を使い出したということ。
なんとなく思いこみで最初から自在に裏声を駆使していたような印象があったけれど、実際はそうでは無かったんですね。
ブラジルのサンパウロでコンサートを行ったときの映像が流れていたけれど、まさにひばり全盛期の歌唱で圧倒的でした。(そういえばMISSORA HIBARIと表記されていて面白かった)
この番組ではその後の所謂不死鳥コンサートなども流していましたが、特別ひばり好きでない私としては、ひばりの映像としてよく流されるこの時期よりはやはり病気をする前の完璧な歌唱の方が歌として勝れていると思ってしまいます。


まあ、ひばりの場合はそれでも殆ど破綻は無く(かなり苦しそうではあるが)歌いきってはいるのだが、それを見ながら他の人はどうだったかな、という事を考えてしまった。


クラシックのピアニストには最後の演奏会的な演奏が有名な人が何人かいる。
ディヌ・リパッティとかウィルヘルム・バックハウスとかルービンシュタインホルショフスキーもそうなのかな。
特にリパッティのは名盤の誉れ高いようなのだが、ある種ドキュメントとしての価値はあるとは思うけれども、演奏としてはそう良いとは思えない。他の3人にしてもそうだと思う。
マニア向けにはそれでも構わないとは思うのだが、一般的に名盤として薦めるのはちょっとどうかと私は思っている。
ミスタッチがどうこうとかいう問題ではなく、音楽の密度がどうしても一貫していなかったり、集中力がとぎれる瞬間が目立ったりしているのが気になってしまうのである。


もう一つよく考えるのが死後やたら未発表録音を出すことについて。遺族に恩恵を、みたいに了承を得ましたとか言って次から次へと出すのは如何なものか。
よく聴いてみると生前出さなかった理由が納得できるものも少なくないように思う。


録音を残すことについては各演奏家それぞれの考えもあるので、良いとか悪いとか一概にはいえないが、内容に関してはちゃんと吟味して判断して欲しいなぁ。


ジャズプレイヤーはまた違った視点から考えなきゃならないと思うので、いつかの機会に。