引退

今日のニュースによると三遊亭圓樂師が引退を発表したらしいです。
確かに入れ歯にしてから言葉が不明瞭になったとは思っていました。それにしても一番酷かった頃よりは持ち直していると思っていただけにもう少し続けるような気がしていました。
圓樂師を初めて聴いたのはまだ圓生師が生きていた頃、落語協会脱退騒動以前だからもう30年以上前になりますか。池袋演芸場だかの前の方の席で落語全集を持って見比べていた、と連れて行った父親は言っているのですが私には定かな記憶がありません。


私が通っていた高校には視聴覚教室という行事が年3回あり、卒業までに9回参加することになるのですが、そのうちの1回が落語会で、三遊亭圓樂師匠でした。そのときは楽屋にお邪魔させていただき、師匠の名前入りの千社札を貰いました。
そのときの高座で何を演じられたのかは忘れてしまいましたが、以前圓生師もこの視聴覚教室で高座を勤められたことがあり、そのとき高校生相手に見事な芸を披露した、という話を枕でしていたのは覚えています。具体的に云うと千何百人の高校生を前にしておしゃべりする隙を与えない芸だったと云うことです。
そして弟子の圓樂師もこの日はその師匠に負けず劣らずの芸をみせてくれました。


その後はあまり圓樂師匠の芸を実際に聴く機会もなく今に至ってしまいました。
歌丸師は、落ち着いたら翻意を促す、みたいな事を仰っていたようですが、多分首を縦にふることは無いでしょう。圓樂師の決めた事ならそのように、です。


現在多少呂律が回らなくても高座に上がってそれなりの芸をみせてくれる人もいますし、晩年の小さん師匠のように口跡がかなり変わってしまっても落語を演じ続けた人もいますが、圓樂師の場合はもしかしたら師匠圓生が死ぬ直前までまるで衰えをみせずに元気な高座を勤めていたのを意識しているのかも知れません。


かつては「勉強しなおして参ります」といってその後高座に上がらないまま逝ってしまった黒門町の師匠に対して、そのライバルでもある志ん生師匠が病気で倒れた後もよれよれの口跡で高座に上がっていたのが対照的でしたが、それはもう大昔の事ですね。
今同格の噺家というと立川談志(家元)なのだろうけど、この人は喉の病気した割には元気で毒舌も健在、圓樂師の引退をどういう想いで受け止めているのだろう。少し気になるところではある。